2010年7月23日金曜日

戦争を知らない子供たちつて…

また、8月15日の終戦(敗戦)記念日がやって来る。あの日は、うだるように暑く、蝉の声だけがうるさいほどに響いていた……なんて戦中派じゃないんですから、終戦の当日を知ってる訳がないのです。終戦のその当日については「カッと照る太陽。うだるような暑さ・蝉しぐれ・玉音放送」と、まぁ、三題噺のように登場するキーワードです。
さて、時は流れて幾星霜…平和な1969年頃から激化したのが安保自動延長反対の運動、言う所の70年安保です。各大学で授業料値上げへの反対運動とか、政府の大学自治への介入とか(産学の協力関係が必須になったいまは伝説的な言葉ですねー)、まぁ、さまざまな若い世代の社会に対する抗議意識がかさなり、さらに当時は労働組合が強力で、それも含めて、かなりの力と影響力を有していた共産党などの活動も加わり「政治の季節・思想の時代」みたいな事になりました。
んーでもって、その表現として人気を得たのがフォークソングって訳です。
最初はアメリカの大学生のマネで、日本の大学の比較的裕福な家庭の子供たちが歌い始めたものです。
そこへ大学を主要な舞台とした「政治活動ブーム」ですから、フォークソングはたちまち「プロテスト(抗議する)・ソングみたいなものとなっちゃって…。
戦争に反対して、平和と友情を歌う…なーんて言う事がある種の流行になりました。
そいで、最初は「フランシーヌの場合」とか「勝利を我らに」とか外国ネタだつたのが、国産の反戦歌謡曲も出てきたのです。
で、知られているのが「戦争を知らない子供たち」この歌が僕は嫌いです。
歌詞には「戦争が終わって僕らは生まれた、僕らの名前は戦争を知らない子供たち、花が好きで、平和が好きで…」なんて言う、まー、寒気がするほどの楽天的な歌です。
て、何故この歌が嫌いかと言うと、「戦争が終わってから生まれた僕たちは、それ以前の戦争をした世代とはまるで違うよ、新しい感覚で生きてるんだもん」といってるわけですね。
で、そう言う事で「この国が戦争をした事については何んにも知らないし、責任も感じないよ」と宣言したようなものなんです。
さて、「戦争を知らない子供たち」って第二次大戦後の子供たちだけじゃないんですよね。
「戦争を知らない」のではなくて「まだ、戦争をしていない子供たち」だって事に過ぎない。
だって第二次大戦・太平洋戦争の若い兵士たちこそ「戦争を知らない子供たち」だつたのですから。
そして戦争を主導し、戦地へと国と若者を誘った世代もまた、「日清・日露の戦争後」つまり明治末年に生まれた世代だったのです。
明治時代の後期、日本は脆弱な国家でありながら大国・清国(現在の中国)と戦い、次いでやはり帝政・大国ロシヤともたたかったのです、で、かろうじて勝った、と言うより負けなかった。ここで、この間やっと開国して、西欧と同じ体制の国を創ったけど、どうだい、たいしたものだ、あっと言う間に世界の一等国だ」と本気で勘違いした世代が生まれちゃったんですね。国内政治的な情勢推移もさまざまあって、外交的失策・敗北の結果として、追いつめられたあげくの太平洋戦争突入です。
えーっと、話が遠回りしてますね。つまりいつの時代も「戦争を知らない世代」っつーのはいるんだと言うわけです。
ああ、やっと話が本来の所まで戻って来た。「戦争を知らない子供たち」で歌った「戦争の事は知らないんだもん・だから責任なんて感じないもん」って言うのが教育の中身にもあからさまに溢れてきます。
敗戦後の日本にとって大切な「近代・現代史」はほとんど時間なんかかけずに年表の丸暗記です。
「歴史」っていうと「古代・鎌倉・室町・安土桃山・江戸」って事なんでしょ…」と言う感覚です。
単に試験をクリアする知識の断片としての「歴史」にしてしまつて「その国の現在はナニによって築かれたか・我々の命はどう引き継がれて来たか」と言う社会と民族の底流を創る部分をすっとばしてしまったのです。
エーツと「民族」なんて言葉を使うから。僕が右翼的心情の持ち主だってものでもないんで、念のためおことわりしておきます。
この「人間と、そまの歴史」に関するしっかりした意識を育てるとか、思考する体験がないままの我々や、我々の子供たちに、いまになって地球の未来・自然との共生といっても、根幹の「歴史意識」が欠如したまんまで、本当の理解ってあり得るのでしょうかねー。
で、話は戻って、「戦争をして、負けた・始めたいきさつはこうで、負けた原因はこうだった・戦争の最中、こんな事も確かにした」と言う苦みある歴史をきちんと学んでいれば、中国や韓国とのおつきあいも変わっただろう・もう少し来合いの入った国家と社会になったろう…と思ったりします。
例えば、まー、趣味の悪い創造ですけどね、韓国とか、中国の博物館とか戦争記念館に行ったとして、日本の若い世代ってどう思い、何を感じるのでしょう。
「えー、韓国とも戦争したんだー、中国ともやっちゃったのー、スッゴイね。アメリカと戦争して負けたのー、嘘ッでしょー、それってドラマの話??」なんて事だつておきかねない。
そんな事で「戦争を知らない子供たち」がナニか世代とか時代を代表する歌のように、毎年テレビやラジオで流れると、「なんだかなー」と思ってしまいます。
ながなが書いてしまいましたけど。ま、ただそれだけの話なんですけどね。再見!!!

2010年7月22日木曜日

暑い…とにかく暑いのです。

地球温暖化、天候異変…などと言われて久しいのですが、函館に住んでると実感として解るのです。最初に住んだ頃は、湿度もなく、雨と言えば傘もいらない霧雨・小雨が多かったんです。
夏でも、夜はカーディガンをはおるくらい冷涼でした。冬の期間も長く、11月末から雪が舞い、真冬は道路の両側や中央に壁のように除雪が積み上げられていました。
4月末でも肌寒い春でした。
それが、今は冬の期間は短い、雪は少ない、湿度高い、本州のつゆなみに雨は降る。と、言った有様で、函館も暑いのです。24度くらいで「暑い、夏日だ」といってた函館も最近は28度〜30度
になるんですよー。
年をとってくるってぇと、この蒸し暑いってのは困りますな。へばっちまいます。
おまけに引っ越しの準備はしなくっちゃいけないし、片付けものもあるし、手続きもいろいろ。
いきなり一人暮らしだもんだから、食事の事も考えなきゃなんないしさー、洗濯はするし、その間にね、悩んでみたり、金策を考えてみたりと、これ、疲れるのです。そいで、仕事も、当然するでしょー。ま、時々ですけどね。
大量の家具や荷物を処分するんですけど、昨今は棄てるにも気を使うでしょ、費用もかかるじゃありませんか。
そのゴミやら、モノやらの処分予定をこなすだけでも大変なんですから。
で、そんな時に「暑い、湿度高い」ってな事で、熱中症状態で、疲れますねー。
いやはや、この年になってこんな事態になるとはねー。ですから、ちゃんと誠実にね、懸命に稼いで、まっとうに生きないと駄目ですよー。
って、僕だけか。他の人は、みんなまっとうにやってるんですよね。
どうも、最近、愚痴めいていけません。8月になったら雰囲気は変わるので、暫くは、こんな調子になりそうです。では、では。

2010年7月18日日曜日

気分はジェットコースター

気分はジェットコースター…と言っても、快適で、スピーディーと言う訳じゃないんです。半日ごとに上昇したり、急行下したりと、つまりは落ち込んでみたり、明るく張り切ったりと、まあ、激しく変化するのです。
8月からの本格的な新生活に入れば落ち着くのでしょうけどねー。なんか疲れる毎日です。
8月にジユンビをして、9月から商品(アートっぽい作品)の販売とか、写真エッセイとか、街ので君゛とや、街の開発企画とか、或は、街に題材をとった映像作品の制作などに専念しようと思っています。
作品は10月からが本格展開で、9月からは、過去の作品の見本展示って事になりそうです。
良質の、機能的なホームページ開設に8月いっぱいかかるかなー…と考えています。
この街は、函館。浪漫地区とも幻想地区とも形容される街です。
石畳の坂道・西洋館・教会群、また赤い煉瓦の建物。そして波止場にカモメと、物語り性に満ちた道具立ては揃っています。
旧市街地の路地などに、わずかに往事の、おもむきある風情が残っています。
1階が和風、二階が洋風(まぁ、アーリーアメリカンって言うのか…)そして家屋外観は下見張りの板壁です。ルーバーを備えた洋風の窓とかね、なかなか良いのです。
またね昭和初期から昭和30年代までに見られた和風家屋も、なんだか古い日本映画に見る感じで魅力的です。
とは言え、新しい建築物や建て替えなどで、昔日の面影は薄れて行くばかりってのが現状ですね。これはいたしかたがない面もあるのです。
ただ、この函館が、不思議なくらいに雰囲気として、そのま個性として持つてしまった「さまざまなもの想いを仮託できる、仮想性に満ちた要素」はかろうじて残滓があります。
そうした要素にスポットをあてて、大げさな観光的景観ではないものを写真と文章で表現したいのです。街角の街路の片隅に、家並みの陰に、そんなものを探して歩く「散歩日記」か発展した写真と文章…「写文集」としてホームページに展開します。
いま、ホームページのタイトルを思案中です。このブログも8月からは、ホームページへとお引っ越しします。後、わずかの7月いっぱいはここに日々の雑感を綴ります。
気に入った…と言う方が現れれば良いのですが。   では、また。

2010年7月15日木曜日

たまゆらに日は過ぎぬ

たいした事をしていなくても、一日は過ぎるのです。気持ちはさまざまにあせるのですが、思った事はなかなか進展せず、いたずらに時が過ぎると言うのは、実に切ないものがありますね。
狂瀾怒濤…といった心境です、睡眠も浅く、疲れがとれないですねー。
まぁ、いやでも、ある時期がくれば片付くものは片付いて行く…とは言え、その渦中にあるとねー、なんか気疲ればかりの連続です。
8月・9月と準備期間をとって、雑貨制作、絵画やオブジェの制作と販売なんてものに本格的に取り組む予定ではいますが、その前段階、一人暮らしの準備が思うにまかせない。
20日過ぎに、疾風怒濤の勢いでやらないと行けないような、月末10日くらいにすべてが集中しそうです。
さて、胸中の疲れを癒す、気分を和ませるには…どうしたらいいのでしょう。
お風呂にゆっくり、とか、DVDのアクション映画でスカットするとか。他愛無い、ゲームに時を過ごす…とか。昼寝なんかして見るとか、いろいろ考えます。
こころ優しい女性でも、そばにいればねー、それは最も好ましいのですが、現在はそんな事も言ってられないし。
でも、男って意外に弱いもので、この女性との気分の戯れが最もこころ安らぐのです。
空きにはガルフレンドなんかも見つけたいものと…ま、思ってます。
と、言う所で、単に疲れた高齢者のため息のような、今回でした。

2010年7月10日土曜日

突然炎の如く点と言う映画の…

かなり昔の映画のタイトルに「突然炎の如く」と言うものがありました。
あーっと、フランス映画…だつたと思います。いや、映画のお話じゃないんですよね、今回は。
「突然…」離婚と言う事態になりました。アッハッハハハ…笑うしかないのです。人生、一寸先は闇って事なんでしょうか。薔薇色の時もあれば、闇もあると。ちょっと五里霧中ですなー。
まー、「初めてじゃねぇや…」って強がるのもねー、やはり可笑しいですし。
複数回の結婚ですからね、今更、離婚のひつとや、二つでオタオタしたりはしないのですが、やはり精神的にはつらいものがあります。年齢がね、60歳超えてますから。
で、そーなるとぉー、一人で、あなた、3LGKは広過ぎるでしょ。だから、お引っ越しなのです。
いきなり1DKですよ。従って荷物、家財を相当に処分しないと入らない。書籍だけで1200冊あるんです。これでも、ついこの間、500冊ほど処分したばかりなんです。
仕事がら、或る程度の制作スペースが必要なんでよね。
まー、工芸品って言うか、アートっぽい作品制作もやってるものですから。そんな、こんなでブログとか書いてる場合でもない…と言えばないのですよ。書いてますけどね。
離婚する男なんて、何所か、相当に性格的な欠陥があるんですよぁ、そりゃ、自分で言うのも何だけど。だから、ナニが悪い、とか、誰かが悪い…とは思わないのです。自業自得って事なのです。因果応報ですかね。禍福はあざなえる縄の如し…って、「禍」ばかり続くけどなー。
それでも、何んでもね、人は生きていかなきゃなんないし、前向きに考えるしかない。
新たな事態に対処して、いろいろと明日からの生活を考えてます。
現実的にはね、お金の事とか、いろいろな事柄の名義変更手続きとか、まー、厄介です。
極楽トンボ…なんてタイトルですけど、極楽トンボであるのも、ウッフフ大変です。
んーな訳で、なかなか本来、目指してた内容にならないんですけど、このブログも場所と内容を変えて、再登場するかも知れません。まー、8月いっぱいまでは、こんな調子です。
では、また次回!!

szp@y k

2010年7月7日水曜日

まだ写真がなくって…

写真が趣味です。と、言ってもアマチュアカメラマン…みたいなものでもないのです。
文章を書くのも趣味で、或る時、散歩の都度撮影していた気まぐれなスナップにエッセイ風の文章を添えたら、意外に良い感じだったので、以来、自分の個癖まるだしのスナップを意欲的に撮るようになりました。
写真は、ある知名度のある写真家・野呂希一氏、雑誌「家庭画報」なんかでも特集ページを担当する方と一緒に撮影に歩いてた時期がありました。
僕はディレクションとか、デザイン担当だつたのです。でね、写真を撮るこころ持ちみたいな、呼吸みたいなものはなんとなく学んでいたのです。
技術的な事は、いまだに素人そのものですけど、ものの見方、捉え方、自分の感覚の具体化みたいな点では、学んだ事もあるのです。
そいでもつて、自分なりにあるレベルにはなってるなー…と思えて来たので。まー、思い上がりですけどさ。それでぇ…写真文集、「写文集」なんてものを作ったりしてるんですよ。
そんなものもこのブログで披露したいものだ…と思ってはいます。
ただ、この所、予想以上に生活も、仕事も、なんだかハチャハチャして始末て、落ち着かないので、じっくりと写真を選んだり、アップの方法を理解してるヒマがないのです。
まあ、いまでも「このページの読者はまだいません」って出てるので、ゆっくりやります。
もしもこのブログに出逢って、気に入ったと思って下さる方が現れたら、気長におつきあい下さいね。では、また。近いうちに。