2010年6月29日火曜日

夢見る頃を過ぎても

人は、誰もが年老いて行くのです。これ、当然の摂理ってものですが、年老いるって事が、必ずしも人柄の成熟には繋がっていない。大人ってものは子供が古びたものってだけで、大人だから知識も、分別も兼ね備えたもの…ではないんですね。
僕など、発達障害を自覚するくらい子供っぽい神経でいまだに暮らしています。家庭人として、夫として、社会人として欠落している所が沢山ありますねー。
社会に出て、職につき、大人らしい振る舞いは覚えますから、それらしいくちを聞いて、それらしく業務をこなしたりも、そりゃ、しますけどね。
でも、趣味とか、情熱を持ってやれる事とかは子供っぽい事ばかりです。
困った事に。こんな僕でもある年齢になると恋愛なんかして、結婚もして、子供も生まれる。いや、「そうだつた」と過去形になる年齢なのです。
でも、いまだに子供っぽい趣味的な事にのみ、一生懸命になるのです。多くの方が人生設計とかを考え、貯蓄をしたり、家を建てたり、老後に備えたりしているのですが、僕はさっぱり、そう言う発想がないのですよねー。
日々、面白いと思える事、楽しいと思える事を探しているうちに、あぁ、恐ろしい事にその「日々の連なり」で60年の歳月を過ごしてしまいました。
仕事のある面とか、趣味の「もの創り」なんかは精神の「子供っぽい」部分が機能してやってるわけで、その分では時々有能だったりもしちゃうんですけどね。
で、「発達障害」に関する本を読んだ時に「アー…僕ってこれだあ」とドンッと思い当たってしまいました。金銭とか、生活経済についてはまるで愚かしい事しかできないのですよ。
ちょっとしたプレッシャーにも弱いですしねー。克己心とかじっと耐えるって事とかが、まるで出来てないものなー。
「子供っぽい器用貧乏」のまんま生きて来てしまいました。
なーんか、今夜は疲れているので愚痴っぽい事をれろれろと書いてます。では、また。

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